社長が「売れない商品」を作る惨劇!
『えんとつ町のプペル』
西野さんが人生をかけて、8年以上の月日をかけて、大事に育ててきたこの作品と共に、僕はいつも挑戦させてもらっています。
西野さんと初めて出会った日。
飲み会の席で、「今度エッフェル塔で絵本の個展をやるんだけど、責任者をやってみる??」といきなり聞かれ、勢いのままに「やります!!」と答えたんですが、、そんな僕に西野さんが笑いながらこう聞きます。
「えんとつ町のプペルという作品には、数えきれないスタッフの想いや生活がかかっていて、失敗したら彼らの生活が守れなくなるし、なによりコイツ(西野さん)の顔に泥を塗ることになるんだよ。」
「それでもやる??」
と。
「やります!!!」と答えた僕のことを、西野さんは手を叩いて笑ってくれて、後日本当に、エッフェル塔個展の責任者を任せてくださったのですが、、
この日の、このやり取りのことを、僕は今でも鮮明に覚えています。
そして、ふと、「そのときの僕は西野さんのあの言葉の”重み”をどこまで想像しきれていたんだろうか??」と、今の自分は、思ったりするんです。
「えんとつ町のプペルには、数えきれないスタッフの想いや生活がかかっている。」
言葉だけ見ると、なんだか理解した気にはなれるんですが、本当の意味で理解するのはすごく難しいなと思います。
きっと、そのときの僕は、そのときの僕なりに、その感じたことのない初めての”重み”を肩に感じながら、走っていたと思うのですが、
その”重み”は、本来もっともっと大きいものだったのかもしれません。
そんなことを考えるようになったのは、僕が、「えんとつ町のプペルという作品を台無しにしてしまった時」でした。
昨年の9月、『えんとつ町のプペル』のミュージカルプロジェクトを担当していた僕は、コロナ禍での挑戦として「オンライン公演」を開催しました。
結果的に、「オンライン公演」は、2000人以上の方に視聴していただき、同時に立ち上げたクラウドファンディングでは、1800万円もの支援をいただきました。(本当にありがとうございました)
ただ、肝心の「オンライン公演」の内容(映像作品)のクオリティが低く、プロが見たら「あれ??」と一瞬でわかるような作品を、お見せする形になってしまったんです。
西野さんには、初日の公演が終わった後に、はっきりと、「リーダーのセトちゃんが0点だったね」と言われました。
、、このときの僕は、恥ずかしながら、それがクオリティが低いということもわからないどころか、「最高のものができた!」と思って出してしまうほどのポンコツでした。
、、エンタメを仕事としていながら、エンタメを見る目もなければ、全然知らなかったんです。
めちゃくちゃ恥ずかしい思いをしました。
そんな僕に西野さんは声をかけてくださって、その夜は朝まで、一緒に飲んでくださったんです。
そして、まず西野さんは、「そのオンライン公演を見て、離れていったお客さんやファンもいる」という”現実”をしっかり教えてくれました。
ミュージカルが好きで、初めてえんとつ町のプペルを見た人は「なんだ、プペルってこんなもんか。」となって、もう一生プペルを見ないかもしれないし、
元々ファンだった方も、「ああ、こんな半端な向き合い方をするスタッフと作品作ってんのね。」と思って、離れていったかもしれません。
そして、もうそれは二度と取り返せません。
これがどんなに重いことなのか。
その”重み”を、そのとき初めて知りました。
何年もかけて、西野さんや、たくさんのスタッフさんが創り上げてきた『えんとつ町のプペル』を簡単に台無しにしてしまえる可能性を自分は秘めている。
『えんとつ町のプペル』に関わるということは、そういうことだと、初めて体で知りました。
めちゃくちゃ怖くなりました。
でも、そのあと西野さんは、エンタメのエの字も知らず、スタートラインにも立てていないような僕を前に、「えんとつ町のプペルエンタメで世界に行くためには、セトちゃんには何が足りないのか」、真剣に一緒に考えてくださったんです。
本当に真剣に。
なんか、今書きながら、思い出して、涙が出てきました。
、、「0点」は西野さんからのエールでした。
「0点」をもらった僕にはみんな声をかけづらかったと思うのですが、そんな中、一番最初にメッセージをくださったのは、西野さんの絵本の担当編集者の「袖山さん」でした。
僕は「プペルを傷つけてしまって、ごめんなさい!!!」と言ったんですが、すぐに、
「プペルが傷ついたなんて思ってないよー!プペルらしい物語が、リアルで追加されて、逆にいいんじゃないかな!?」
と返ってきて、泣きそうになりました。
そしてそのまま「飲みに行こう!」と、連れ出してださって、そこで、袖山さんが西野さんと初めて出会ったときのことや、そこから今までの道のりの話をたくさん教えてくれました。
西野さんが絵本作家になってからの月日は、なんと、15年。
僕なんかは、途中から入ってきたいいとこ取り野郎で、「エッフェル塔個展」に至るまでには、西野さんの血の滲むような努力や、数えきれないスタッフさん達の時間や想いがあるはずで。
この日、『えんとつ町のプペル』が持つ歴史の”重み”を改めて感じたと同時に、初めからずっと西野さんと共に走ってきた「袖山さん」には、ずっと伝えたかった、
「袖山さんのおかげで、今、僕が挑戦できています!ありがとうございます!!」
をやっと伝えることができました。
袖山さんはいつも優しくて、「セトちゃんがインターンの一期生でよかった!」と言ってくださったのですが、、この言葉をちゃんと正解にしたいなと強く思いました!!
そんなこんなで、その”重み”を知った僕は、それを全てガソリンにして、劇場を駆け回って、エンタメ修行の毎日に明け暮れていたのですが、
その横では、西野さんが、(文字通り)命をかけて、『映画 えんとつ町のプペル』を製作していました。
そして、走りながら西野さんが、
「映画の後には、ミュージカルやカフェなどの後輩の挑戦が続いているから、”映画えんとつ町のプペル”は絶対ヒットさせて、いい形で後輩に繋ぐ!!」
と、何度も言っていたのを見ていました。
結果は、皆の知る通り。
日本でヒットするどころか、アヌシー国際映画祭というアニメーション映画祭の最高峰の舞台にもノミネートされ、今も目の前で、映画の世界展開がどんどん進んでいます。
、、もう、とんでもなさすぎます。
ほんとにこれ以上のないバトンが渡ってきました。
こんな人って、いるんですか。
そんな西野さんからのバトンを受け取って、僕は今、ミュージカル『えんとつ町のプペル』のプロデューサーをやらせてもらっているのですが、
あの日、西野さんと出会った飲み会で受け取ったバトンよりも、遥かに重いバトンを今持っている感覚があります。
バトン自体が重くなったのもありますが、そのバトンの”重み”を感じられるようになったから、もあるかもしれません。
そして、その“重み”を感じられるようになったのは、西野さんが、「どんなことがあってもずっと背負わせてくださっているから」だと思います。
西野さんが、何者でもない僕に、チャンスをくださらなかったら、0点をくださらなかったら、、
「背負う」ということの”重み”と、その大変さと、その誇りと、それがどれだけパワーをくれるものなのかを、絶対に知らないで終わる人生でした。
本当に、感謝でいっぱいです。
この場を借りて、、
西野さん、いつもありがとうございます。
大好きすぎます!!!!
と伝えたいです。
そして。
もうやるしかありません!!
怖さも知りました。
不安もあります。
でも、その”重み”も全部背負って、
『えんとつ町のプペル』という作品と、真っ直ぐ向き合って、
全力でミュージカルに挑みます!!!
【ミュージカル『えんとつ町のプペル』公式HP】
→https://poupelle-musical.com/
先日、今年11月に行う日本公演の情報が公開されました。
いよいよです。
チーム全員で力を合わせて、西野さんと一緒に、『えんとつ町のプペル』と一緒に、世界まで行きます。
見ていてください。
セトちゃん
最後まで読んでいただきありがとうございました😊😊
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