劇団しめじの挑戦!役者が食べていける劇団にしたい!
「会社」は気を抜くと、「社員を養う為に働く」という方向に進んでしまう
僕は毎日2000〜3000文字の記事をオンラインサロンに投稿しているのですが、先日、僕の会社の「見直さなきゃいけないところ」について書いたんです。
その記事の中で、「こういった『見直し』をこまめにしていかないと、会社というのは、目的を達成する為に社員を雇ったのに、社員を養う為に働く組織になるよね」と書きました。
「Aという商品を頑張って作って売って、どうにかこうにか売り上げを作ってるけど、そもそもなんでAを売ってるんだっけ? これって僕らが会社としてやりたいことだったり、世間が求めていることだっけ? …いやいや、よくよく考えてみたら、社員を養う為にAを作って売ってるぞ」というのって、よくあると思うんです。
「ガソリンを補充する為に走っている」とか、「ご飯を食べる為にお腹を空かせる」みたいな。
たとえば、野球をしようと思ったら「9人」が必要だから、その9人を養う為に、チームとしてグッズを販売するのは、よく分かるんです。
その時の「9人を養う為に」は、突き詰めて行くと「野球をする為」に辿り着くので。
ただ、それを続けていくうちに、気がついたら「9人を養うこと」が最終目標になって、野球の練習をする時間そっちのけで「どうやったら、もっとグッズが売れるんだっけ?」「どうすれば黒字になるんだ?」みたいな会議を繰り返すようになる。
本末転倒もいいところなんですが、ただ、「会社」というのは、少しでも気を抜いたら、そっちの方向に進んでしまう性質を持っている。
僕らは、このことを自覚しておく必要があると思います。
「もともとの目的」にアプローチが合っているのか、定期的な見直しが必要
やっぱり、「定期的な見直し」が必要なんだと思います。
「僕らは何の為に働いているのか?」「僕らの会社は何の為にあるのか?」という自問自答ですね。
健康な会社は、「野球を続ける為に何年間もグッズを売り続けてきたけど、今の時代は、グッズでマネタイズするのは効率的じゃないよね。やめよう」みたいな見直しを常にしている。
たとえば、「ライブのチケットって何の為に売ってるんだっけ?」みたいな問い。
「ライブを作って、お客さんに見てもらう為に、ライブのチケットを必死になって売っている」…というスタートがあって、ここに対して、多くの人が「チケットが売れた」「チケットが売れない」「こうすればチケットが売れるぞ〜」みたいな議論をしている中、
「いやいや、ライブを作って(より多くの人に)見てもらうことが目的なんだったら、スポンサーから広告費をもらって、ライブを制作して、それでお客さんには無料で見てもらいましょうよ」と提案したのが『テレビ』だと思うんですね。
(続きはこちらから【連載「革命のファンファーレ~現代の労働と報酬」】)
【西野亮廣】「完成物」でなく「制作プロセス」を販売するという選択肢が、なぜ生まれ、なぜ成功するか?──連載「革命のファンファーレ2」Vol.46
https://goetheweb.jp/person/article/20220610-nishino_akihiro_46