『えんとつ町のプペル』という作品に関わらせてもらう重み。

2021年06月25日

 

『えんとつ町のプペル』

 

西野さんが人生をかけて、8年以上の月日をかけて、大事に育ててきたこの作品と共に、僕はいつも挑戦させてもらっています。

 

 

西野さんと初めて出会った日。

飲み会の席で、「今度エッフェル塔で絵本の個展をやるんだけど、責任者をやってみる??」といきなり聞かれ、勢いのままに「やります!!」と答えたんですが、、そんな僕に西野さんが笑いながらこう聞きます。

「えんとつ町のプペルという作品には、数えきれないスタッフの想いや生活がかかっていて、失敗したら彼らの生活が守れなくなるし、なによりコイツ(西野さん)の顔に泥を塗ることになるんだよ。」

「それでもやる??」

と。

「やります!!!」と答えた僕のことを、西野さんは手を叩いて笑ってくれて、後日本当に、エッフェル塔個展の責任者を任せてくださったのですが、、

この日の、このやり取りのことを、僕は今でも鮮明に覚えています。

 

そして、ふと、「そのときの僕は西野さんのあの言葉の”重み”をどこまで想像しきれていたんだろうか??」と、今の自分は、思ったりするんです。

 

「えんとつ町のプペルには、数えきれないスタッフの想いや生活がかかっている。」

言葉だけ見ると、なんだか理解した気にはなれるんですが、本当の意味で理解するのはすごく難しいなと思います。

 

きっと、そのときの僕は、そのときの僕なりに、その感じたことのない初めての”重み”を肩に感じながら、走っていたと思うのですが、

その”重み”は、本来もっともっと大きいものだったのかもしれません。

 

そんなことを考えるようになったのは、僕が、「えんとつ町のプペルという作品を台無しにしてしまった時」でした。

 

昨年の9月、『えんとつ町のプペル』のミュージカルプロジェクトを担当していた僕は、コロナ禍での挑戦として「オンライン公演」を開催しました。

結果的に、「オンライン公演」は、2000人以上の方に視聴していただき、同時に立ち上げたクラウドファンディングでは、1800万円もの支援をいただきました。(本当にありがとうございました)

 

ただ、肝心の「オンライン公演」の内容(映像作品)のクオリティが低く、プロが見たら「あれ??」と一瞬でわかるような作品を、お見せする形になってしまったんです。

西野さんには、初日の公演が終わった後に、はっきりと、「リーダーのセトちゃんが0点だったね」と言われました。

 

、、このときの僕は、恥ずかしながら、それがクオリティが低いということもわからないどころか、「最高のものができた!」と思って出してしまうほどのポンコツでした。

、、エンタメを仕事としていながら、エンタメを見る目もなければ、全然知らなかったんです。

 

めちゃくちゃ恥ずかしい思いをしました。

 

そんな僕に西野さんは声をかけてくださって、その夜は朝まで、一緒に飲んでくださったんです。

そして、まず西野さんは、「そのオンライン公演を見て、離れていったお客さんやファンもいる」という”現実”をしっかり教えてくれました。

 

ミュージカルが好きで、初めてえんとつ町のプペルを見た人は「なんだ、プペルってこんなもんか。」となって、もう一生プペルを見ないかもしれないし、

元々ファンだった方も、「ああ、こんな半端な向き合い方をするスタッフと作品作ってんのね。」と思って、離れていったかもしれません。

 

そして、もうそれは二度と取り返せません。

 

これがどんなに重いことなのか。

 

その”重み”を、そのとき初めて知りました。

 

何年もかけて、西野さんや、たくさんのスタッフさんが創り上げてきた『えんとつ町のプペル』を簡単に台無しにしてしまえる可能性を自分は秘めている。

『えんとつ町のプペル』に関わるということは、そういうことだと、初めて体で知りました。

 

 

めちゃくちゃ怖くなりました。

 

 

でも、そのあと西野さんは、エンタメのエの字も知らず、スタートラインにも立てていないような僕を前に、「えんとつ町のプペルエンタメで世界に行くためには、セトちゃんには何が足りないのか」、真剣に一緒に考えてくださったんです。

本当に真剣に。

 

なんか、今書きながら、思い出して、涙が出てきました。

 

、、「0点」は西野さんからのエールでした。

 

「0点」をもらった僕にはみんな声をかけづらかったと思うのですが、そんな中、一番最初にメッセージをくださったのは、西野さんの絵本の担当編集者の「袖山さん」でした。

僕は「プペルを傷つけてしまって、ごめんなさい!!!」と言ったんですが、すぐに、

「プペルが傷ついたなんて思ってないよー!プペルらしい物語が、リアルで追加されて、逆にいいんじゃないかな!?」

と返ってきて、泣きそうになりました。

 

そしてそのまま「飲みに行こう!」と、連れ出してださって、そこで、袖山さんが西野さんと初めて出会ったときのことや、そこから今までの道のりの話をたくさん教えてくれました。

 

西野さんが絵本作家になってからの月日は、なんと、15年。

 

僕なんかは、途中から入ってきたいいとこ取り野郎で、「エッフェル塔個展」に至るまでには、西野さんの血の滲むような努力や、数えきれないスタッフさん達の時間や想いがあるはずで。

この日、『えんとつ町のプペル』が持つ歴史の”重み”を改めて感じたと同時に、初めからずっと西野さんと共に走ってきた「袖山さん」には、ずっと伝えたかった、

「袖山さんのおかげで、今、僕が挑戦できています!ありがとうございます!!」

をやっと伝えることができました。

 

袖山さんはいつも優しくて、「セトちゃんがインターンの一期生でよかった!」と言ってくださったのですが、、この言葉をちゃんと正解にしたいなと強く思いました!!

 

そんなこんなで、その”重み”を知った僕は、それを全てガソリンにして、劇場を駆け回って、エンタメ修行の毎日に明け暮れていたのですが、

その横では、西野さんが、(文字通り)命をかけて、『映画 えんとつ町のプペル』を製作していました。

 

そして、走りながら西野さんが、

「映画の後には、ミュージカルやカフェなどの後輩の挑戦が続いているから、”映画えんとつ町のプペル”は絶対ヒットさせて、いい形で後輩に繋ぐ!!」

と、何度も言っていたのを見ていました。

 

結果は、皆の知る通り。

日本でヒットするどころか、アヌシー国際映画祭というアニメーション映画祭の最高峰の舞台にもノミネートされ、今も目の前で、映画の世界展開がどんどん進んでいます。

 

、、もう、とんでもなさすぎます。

 

ほんとにこれ以上のないバトンが渡ってきました。

こんな人って、いるんですか。

 

 

そんな西野さんからのバトンを受け取って、僕は今、ミュージカル『えんとつ町のプペル』のプロデューサーをやらせてもらっているのですが、

あの日、西野さんと出会った飲み会で受け取ったバトンよりも、遥かに重いバトンを今持っている感覚があります。

 

バトン自体が重くなったのもありますが、そのバトンの”重み”を感じられるようになったから、もあるかもしれません。 

 

そして、その“重み”を感じられるようになったのは、西野さんが、「どんなことがあってもずっと背負わせてくださっているから」だと思います。

 

西野さんが、何者でもない僕に、チャンスをくださらなかったら、0点をくださらなかったら、、

「背負う」ということの”重み”と、その大変さと、その誇りと、それがどれだけパワーをくれるものなのかを、絶対に知らないで終わる人生でした。

 

本当に、感謝でいっぱいです。

 

この場を借りて、、

西野さん、いつもありがとうございます。

大好きすぎます!!!!

 

と伝えたいです。

 

 

そして。

 

 

もうやるしかありません!!

 

怖さも知りました。

不安もあります。

 

でも、その”重み”も全部背負って、

『えんとつ町のプペル』という作品と、真っ直ぐ向き合って、

全力でミュージカルに挑みます!!!

 

【ミュージカル『えんとつ町のプペル』公式HP】

https://poupelle-musical.com/

 

先日、今年11月に行う日本公演の情報が公開されました。

 

いよいよです。

 

チーム全員で力を合わせて、西野さんと一緒に、『えんとつ町のプペル』と一緒に、世界まで行きます。

 

見ていてください。

 

 

セトちゃん

 

最後まで読んでいただきありがとうございました😊😊

 

◾️西野亮廣エンタメ研究所
https://salon.jp/nishino

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◾️セトちゃんのエンタメ挑戦記
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