【西野亮廣】「失敗」は大した罪じゃなくて、「失敗を隠すこと」が重罪

2022年05月01日

書いた人:西野 亮廣 公式LINE

※この記事は、2022年4月29日に掲載された「GOETHE」(幻冬舎)の記事より一部転載しています。

「失敗」は大した罪じゃなくて、「失敗を隠すこと」が重罪

 
少しヘビーな話ですが、たぶん、これが現実なので、受け止めていただけると嬉しいです。
 
僕は、「いつも同じ人と仕事をする」というよりも、仕事柄、いろんな人と仕事をさせていただくんです。
ジャンルも、年齢も、本当に幅広く。
 
なので、どういう人が仕事ができて、どういう人が仕事ができないのかを、あるいは、どういう人をチームに招くとマズイことになるのかをよくよく知っているのですが…むちゃくちゃシンプルで「そりゃそうだろ」という結論なのですが、「嘘をつく人」や「誤魔化そうとする人」がチームにいると、かなり面倒なことになります。
 
で、ここがポイントなのですが、「嘘をつく人」に比べて、「ミスをする人」がチームに与えるダメージというのは、そこまで大きくありません。
 
「嘘をつく人」や「誤魔化そうとする人」が、なぜ、嘘をついたり、誤魔化したりするかというと、「ミスを隠そう」という意識が働いているからだと思うのですが、もっと具体的に言うと、「罪の重さを間違って捉えている」というところだと思うんですね。
 
「失敗する」と「誤魔化す」の二つだと、チームとしては、圧倒的に「誤魔化す」の方が罪が重いのにも関わらず、「失敗したら怒られるから(信用を失うから)、誤魔化そう」という判断をしてしまう人がいる。
 
これが学校教育の最大の失敗だと思っているのですが、現代チームにとって大切なことは「失敗しないこと」じゃなくて、「問題点を秒速で洗い出して改善すること」なんですね。
なので失敗を隠されてしまうと、失敗するポイントが見つかるまでに時間がかかって、その分、改善が遅れて、チームの損失に繋がるんです。
 
交通事故を少しでも減らす為に「どこが事故多発地域なのか?」ということを知りたいのに、事故ったことを隠されてしまうと、またそこで誰かが車に轢かれてしまうんです。
なので、「失敗」というのは大した罪じゃなくて、「失敗を隠すこと」が重罪なのにも関わらず、学校というのは「正解教育」というか、「正解至上主義」で、「失敗」が重罪になってしまっているので、多くの人が「失敗」を隠そう隠そうとしてしまう。
 
僕がいる世界では、この「失敗を隠そうとする人(誤魔化そうとする人)」が、もれなくいなくなるのですが、たぶん、これは今、どの業界でも同じことがいえると思います。
学校で教わるのは「正解か、不正解か?」という考え方ですが、変化の時代にあるのは極端なことを言うと、「不正解か、改善か?」です。
「失敗しました」と報告があっても、「そりゃそうだよね。誰もやったことがないんだから、どこが躓くかも分からないもんね。で、どこで躓いたか教えて。次からは、そこで誰も躓かないように改善しよう」というだけの話なんです。
 
これに対して、「失敗した? ふざけるな! ペナルティーだ!」というのが学校的な考えです。
僕は、よく「失敗は構わないけど、嘘をついちゃダメだよ」とスタッフに言うのですが、それでも、嘘をついたり、誤魔化したりするスタッフっているんですね。
当然、それが癖になってしまっている人がチームにいたら、問題の改善が遅れるので、チームからは秒で外れてもらうのですが、問題は、その人が「失敗>誤魔化す」と捉えてしまっていることですね。
 
つまり、本人的には保身のつもりで誤魔化していると思うんですが、それは保身でも何でもなくて、そもそも無罪だったのに、わざわざ自分で重罪にする作業なんです。
「人として嘘をつくな!」という話をしているわけではなくて、「学校と社会のルールの違いを把握して、もっと合理的に生きろ」という話をしています。
 
 

社会では、嘘をつかずにソッコーで報告した方がいい

 
そして、この春から新社会人になられた方も多いと思うので、これは分かっておいた方がいいと思うのですが、たとえば、「あなたが何か失敗をしてしまいました」と。
でも、上司からすると、新社会人に「その類の失敗」をされることが初めてじゃないんです。
ということは、つまり、「その失敗をしてしまった時の、その場の思いつきの言い逃れ」も、上司からすると初めてじゃないんですね。
「はい。それで証拠隠滅に持っていくパターンね」という。
 
「嘘」や「言い逃れ」が通用する時の条件は、相手も、その「嘘」や「言い逃れ」を初めて受ける場合のみ。です。
その「嘘」や「言い逃れ」を、かれこれ100回ぐらい繰り返されている相手に対して、その「嘘」や「言い逃れ」というのが絶対に通用しないんですね。
「もう、そのパターンは分かったから、とっとと躓いたポイントを教えてよ。そして、はやく改善に向かおうよ」というのが上司です。
 
幼稚園から、大学ぐらいまで、基本的には、ず〜っと同い年の子達と暮らしてきたから、ある失敗を経験するのは、自分も初めてなら、相手も初めてで、だから、「言い逃れ」が通用するケースがあったのかもしれませんが、社会はそうじゃないんですね。
 
(続きはこちらから【連載「革命のファンファーレ~現代の労働と報酬」】)

【西野亮廣】「失敗」は大した罪じゃなくて、「失敗を隠すこと」が重罪──連載「革命のファンファーレ2」Vol.40

https://goetheweb.jp/person/article/20220429-nishino_akihiro_40

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