「お客様の声」をどこまで聞くか?問題

2024年10月09日

書いた人:西野 亮廣 公式LINE

(※今日の記事を音声で楽しみたい方はコチラ↓)
https://voicy.jp/channel/941/6120879

「お客様の声」をどこまで聞くか?問題 | 西野亮廣(キングコング)「西野さんの朝礼」/ Voicy - 音声プラットフォーム

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野球中継に物申す父。もしかすると、あの時の父ちゃんは…

 
物心ついた時から今の今まで両親のことは本当に尊敬しておりまして…ウチは4人兄弟なのですが、「サラリーマン家庭で4人の子供を育てあげることの凄み」は大人になると余計に痛感します。
 
皆の家みたいに「お小遣い」というものはウチにはありませんでしたが、ナンジャカンジャで誕生日やクリスマスになればプレゼントだって貰えたし、僕が落ちこぼれかけた時に「塾」に行かせてくれたし、本当に感謝しかなくて、この恩は一生かけて返していこうと思っています。
 
そんな感じで、両親とは子供の頃からそこそこイイ関係を築けているのですが、ただ1つだけ、物心ついた頃から「野球中継に物申す父の背中」はあまり見たくありませんでした。
 
父親がテレビに向かって「なんで、今の球に手を出すねん!」とか「今の球を振らんで、どの球を振るねん!」と叫ぶ姿は、どこのご家庭でも見られるお茶の間の風景だと思うのですが、僕はこれが子供の頃から苦手で、「いけー!」とか「かっとばせー!」とかだったら家族の皆で一緒になって野球中継を楽しめたのですが、野球経験も無い父が(自分のことを棚にあげて)急に評論家として立ち振る舞う姿は、あまり見たくありませんでした。
 
今になって考えてみると、父ちゃんは、その人生において「自分の意見を言う機会」があまり用意されていなかったので、もしかすると、あの時の父ちゃんは「野球中継」に救われていたのかもしれません。
 
プロに意見できるなんて「神」の所業なわけですが、ブラウン管越しならば、それが叶うので。
 
今は「あの日の父ちゃんのような人」が、SNSやYouTubeで「わかってねぇなぁ」とご意見番コメントすることで(少し神になることで)救われている人がいるのかもしれません。
 
セカオワも「説教は快楽だ」って言っていたし。
 
YouTubeなどのコメント欄を封鎖してしまうことは、「黙ってテレビを観ろ」と言っているようなもので、「神ごっこをすることで救われる人」を切り捨ててしまっているのかもしれません。
 
なので、やっぱり「コメント欄」というのは大切っぽいです。
 
 

皆が皆、コンテンツの向上の為にコメントしているわけではない

 
一方で、視聴者がコメント欄に求めている役割の本質は「コメントしている自分を気持ちよくしてくれる」程度のものであるということを、発信者は忘れちゃいけないかもしれません。
 
「視聴者の皆が皆、コンテンツの向上の為にコメントしているわけではない」という話です。
 
正論を言っている人も「正論を言いたいだけ」であることがほとんど。
 
コンテンツの未来を本気で想うなら「それはおかしい!」という正論を吐いた後に、行動に起こすと思うのですが、「それはおかしい!」と言って嬉ションすることがゴールで、その後の行動(正論を実現させる為の行動)を起こす人などは、ほとんどいません。
 
そう思わされる出来事が最近ありまして…今、ファミリーミュージカル『えんとつ町のプペル』密着ドキュメンタリー(BackStory)をYouTubeで毎週金曜日に配信しているのですが、その中で主役オーディションをやりまして、「声変わり」のリスクを理由に、最終オーディションで落ちちゃった男の子がいるんです。
 
コメント欄は「なんで、あの子を落とすんだ」とか「神の歌声だ」とか「彼はスターの逸材だ」とか「彼の舞台なら観に行く」といったコメントで埋まって、ショート動画の再生回数もTikTokを合わせると「1000万回」近く回っているのですが、「その子の舞台を観に行った」という声をその後、1件も耳にしません。
 
「あの子の舞台はどこで観れるんですか?」という問い合わせもありません。
 
そんなに言うなら、別の作品に出ているその子を観に行ってあげればいいじゃないですか?
 
「可哀想」と思うなら、その子の活動を調べて応援しに行ってあげればいいじゃないですか?
 
でも、それは誰もやらないんです。
 
なぜなら、「可哀想」というコメントは、「可哀想」と思った自分の為に言っているだけだから。
 
日常生活でなかなか面と向かって意見できず、存在をアピールすることができない自分でも、コメント欄なら堂々と意見できて、「私はここにいるぞ」とアピールすることができて、それによって、自分が救われている。
 
 

人は基本「自分の為になること」しかやらない

 
ギリシャ哲学(だったっけ?)の「善・悪」の定義が面白くて「善」というのは「自分の為になること」で、「悪」というのは「自分の為にならないこと」だそうです。
 
許さない人をブン殴るのは「自分の為にやっていること」なので「善」で、
ボランティア活動にしても、「困っている人を助けたい」という自分の欲望を満たす為にやっている行為なので「善」だそうです。
 
そして、人は基本「善(自分の為になること)」しかやらないそうで、「オーディションに落ちてしまった男の子の舞台を観に行く」は自分の為にならないからやらない。
 
だけど、「なんで、あの子を落とすんだ!」とコメントは、「気持ちを吐き出してスッキリしたい」「正義をすることで満たされたい」という自分の為になる行為だから、どんどんやっちゃう。
 
皆さんの会社やお店にもお客さんの声は届いていて、もちろんその中には「気づき」をいただける声もあると思うのですが、基本、皆、自分の為に意見しているから鵜呑みにしすぎないようにしてください。
 
ちなみにウチの父ちゃんは、その年に首位打者を取ることになるイチロー選手に対して、「なんで、その球に手を出すねん!」と叫んでいました。
 
これがお客様の声です。
 
 

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