【西野亮廣】もう一つの未来を迎えに行く

2021年10月29日

※この記事は、2021年10月29日に掲載された「GOETHE」(幻冬舎)の記事より一部転載しています。

第14回 作為的に「不便」を作ることで「創造」へとつながる

白熱する稽古現場

『映画 えんとつ町のプペル』の再上映がスタートしました。
泣いても笑っても、ハロウィン当日(10月31日)に上映は終了します。
「なんで、もっと長い期間やらないの?」とか、「なんで、もっと観やすい時間にやらないの?」という声をたくさんいただくのですが……上映期間や上映館数をグッと絞ることで1館あたり(1上映あたり)の来場者数を増やしたり、平日の朝に「舞台挨拶」を入れたりして(※タレントさんなら絶対にやらない!)、全国の劇場さんの信用(映画の再上映ってアリなんじゃね?)を獲得する年だと思っています。
 
さて。
そんな映画の再上映の裏では、ファミリーミュージカル『えんとつ町のプペル』の制作がグイグイと進んでいます。
 
昨日は悪者役の岡幸二郎さんが、「こんな登場の仕方はどうだろう?怖くない?」と素敵なアイデアを出してくださって、稽古場にいる全員が「怖ぇぇーー!」と沸きに沸きました。
 
踏み込んだ話をすると、今回の公演の会場(東京キネマ倶楽部)は、もともとはグランドキャバレーだったので、あるハズの装置が無く、無いハズの装置があったりするので、演劇やミュージカルをやるとなると、難易度が上がります。
#そんなことを差っ引いても素敵すぎる劇場なのです
 
美術セットを吊るす(天井の)バトンが十分にあるわけではないので、「美術セットを大々的に入れ換えて場面転換」みたいなこともできません。
ワンシチュエーションの物語であれば、それでもなんとかなりますが、『えんとつ町のプペル』は、「町」に「地下空間」に「煙突の上」に「煙の中」に「星空」に、大忙し。
 
「セットを転換せずに、どうやって場面を転換するんだよ」という問題が常につきまといます。
 
さらには、劇場の構造上、「完全暗転(真っ暗のやつ!)」ができません。
 
台本に「※ルビッチ、暗転中に舞台袖にハケ」と書いたところで、完全暗転ができないので、舞台袖にハケていく姿がお客さんに見られてしまうんですね。
 
そうすると、「台詞を言うためにステージに出てきて、台詞を言い終わったらステージからハケていった」みたいになっちゃうので、なんか恥ずかしい感じです。
 
通常は、暗転中にセットを転換したり、役者が出たりハケたりするのですが、「完全暗転ができない」となると、「暗転が無い芝居」を作るしかありません。
もちろん、これは劇場装置の話なので、「稽古をスタートしてから分かったこと」ではありません。
 
ファミリーミュージカル『えんとつ町のプペル』は、「先々、世界中のいろんなところで公演する」という計画案があったので、「それならば、最初から、演劇には不向きな場所で公演をおこなって、そこで作品の『雛型』を作りましょう」となり、今回の会場に白羽の矢が立ったわけです。
「ここでやれたら、次からは、どこでもやれるだろう」と。
 
(※僕が好きで好きでたまらない劇場なので、名誉の為に、くれぐれも言っておきますが「ミュージカル向きではない」というだけで、「ライブ」をやるには最高の劇場です)
 
さて。
今回の劇場でミュージカル公演をするにあたって問題を抱えていることは把握していましたが、問題の解き方を持ち合わせていたわけではありません。
それもあって、ファミリーミュージカル『えんとつ町のプペル』の稽古場は、「こうすれば、突破できるのでは?」というアイデアがたくさん飛び交っています。
実にクリエイティブな現場です。

違う未来

チーム一丸となって、大量のナゾナゾを解き続ける毎日で、その中からは「セットを吊るすバトンがあったら思いついてなかったアイデア」や「完全暗転できていたら生まれていなかったアイデア」が時々混じっています。
 
それらのアイデアは、「バトン」や「完全暗転」を利用した演出よりもずっと魅力的で、その時、僕らは「不便」に感謝します。
 
ここからが今日の本題になってくるのですが……。
 
(続きはこちらから【連載「革命のファンファーレ~現代の労働と報酬」】

【西野亮廣】もう一つの未来を迎えに行く

https://goetheweb.jp/person/article/20211029-nishino_akihiro_14

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