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エンターテインメントは「受け手」が主語
映画制作や舞台制作など、あらゆるエンターテインメントの現場において、僕が常に注意を促している(というか、時に強く指摘している)のは、「お客さんは、それを待っていない」という点です。
これは創作現場における根深い問題のひとつで、多くのクリエイターは「自分が表現したいこと」を大切にしています。
それ自体は素晴らしい姿勢なのですが、一方で、取り組んでいるプロジェクトが「アート」なのか「エンターテインメント」なのかを明確にすることは、非常に重要だと僕は考えています。
たとえば、僕たちのプロジェクトでいえば、『ボトルジョージ』はアートであり、『えんとつ町のプペル』はエンターテインメントに属します。
この2つの領域を分ける基準は、「主語の違い」にあります。
アートは「作り手」が主語であり、自己表現や問いかけが目的となります。
一方で、エンターテインメントは「受け手」が主語であり、観客の体験や満足が最優先されます。
問題が起こるのは、「エンターテインメントを作る」という前提で集まった場において、一部のクリエイターが無意識に「アートのスイッチ」を入れてしまう時です。
そうした場合、僕は「ここは、その表現を試みる場ではありません」と明確に伝えるようにしています。
「予想を裏切ってみませんか?」これは誰一人として望んでない
たとえば、ミュージカル『えんとつ町のプペル』の終盤で、「主題歌をあえて歌わないことで、観客の予想を裏切ってみませんか?」といった提案が持ち上がったとします。
#たとえばね
これは観客の誰一人として望んでないですよね。
「期待を裏切ること」は、エンターテインメントにおいて決して肯定されるべきものではありません。
でも、いるんです。「ここは、あえて」を言い出す「あえて族」が。
(続きはこちらから【連載『革命のファンファーレ』から『夢と金』】)
西野亮廣が指摘する、創作の現場にある“根深い問題”。アートとエンタメの境界が分からない人は失敗する!
https://goetheweb.jp/person/article/20250801-nishino-207
