【西野亮廣】オンラインイベントとオフラインイベントで悩む人たちへ。現代の「ハレ=非日常」と「ケ=日常」を理解できているか?

2022年03月27日

※この記事は、2022年3月25日に掲載された「GOETHE」(幻冬舎)の記事より一部転載しています。

「祭」は集落の生存戦略

人類史を遡ると、地球上のあらゆる地域で「祭」がおこなわれています。
現代のようにインターネットで世界が繋がっている時代じゃないので、“しめし合わせたわけでもないのに”、各地で「祭」が起きています。
これは何も世界中にバランス良くパーティー野郎がいたわけではありません。

いろいろ調べてみると、「祭」というものが、“集落を残す為に必要な手段”だということが分かってきました。
理由は大きく2つ。

一つ目は『「ハレ(非日常)」を設けることで、「ケ(日常)」の苦しさを乗り切れる』というメンタル的な理由です。

「残業続きでシンドイけど、来週はキングコングの武道館ライブがあるから、そこまで頑張ろう!」といった。
僕でいうと年末の『天才万博』が、それに該当します。

「ケ」しかない人生は、メンタルがやられちゃうそうです。
メンタルがやられると、もれなく体調を崩してしまうので、集落の労働力が落ちてしまう。
なので、「祭」が必要なんですね。

もう1つの理由は『子宝に恵まれないと集落が終わってしまうので、祭を設けて、男女を出会わせる』です。

子供は次の時代の労働力なので、そもそもの「恋仲になる」「カップルを増やす」ということが、集落にとっては非常に重要なんですね。
一説には、祭に「仮面」や「お面」が付いてくるのは、「立場を隠したい人が祭に参加できるように」という理由があるそう。
#なるほど

いずれにせよ、集落(コミュニティー)を存続させる為には「祭」というものが必要になってきます。
さて。
本題はここから。

僕らの非日常はどこだ?

先日、とある企業さんとメタバース(仮想空間)の打ち合わせがありました。
細田守監督が『サマーウォーズ』や『竜とそばかすの姫』で描いた世界観はとっくに始まっていて、いよいよ無視できないぐらいに盛り上がってまいりました。

しかし、まぁ、そんなものは今に始まったわけではなく、考えてみりゃ、とっくの昔から、僕らは『街を歩く時間』よりも、『ネット内を回遊する時間』の方が増えています。
今、この瞬間もそうですね。

何をもって「日常」と呼ぶのか、その定義は少しフニャフニャしていますが、「投下した時間が最も長いもの」を日常と呼ぶのならば、僕らの日常はネットの中にあります。
生身の「けんすうサン」を見ても、「けんすうサン」とは判断できないけれど、けんすうサンのプロフィール画像(変なロケットみたいなヤツ)で「けんすうサンだ!」と判断できる人もいるのではないでしょうか。

僕自身、「アバターしか知らない」という人は結構います。
『竜とそばかすの姫』のような世界が来るのは少し先だとしても、ジワジワとそこ世界に向かっていることは間違いありません。

続きはこちらから【連載「革命のファンファーレ~現代の労働と報酬」】

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