「原作者」としても活躍している西野亮廣さんより、「僕の言葉で、僕自身の話をさせていただきます」

2024年02月04日

書いた人:西野 亮廣 公式LINE

※この記事は、2024年2月2日に掲載された「GOETHE」(幻冬舎)の記事より一部転載しています。

原作者として「ここだけは分かっておいて欲しい」という気持ちを共有させてください

 
漫画作品のドラマ化をめぐって、とても悲しい出来事がありました。
 
「原作者」として作品に携わる経験が少なくない僕にとっては、今回の一件は、まったく他人事じゃなくて、本当に胸が苦しくなったのですが……ここで正義を盾に正論をまくしたててしまうと、それによって、更に悲しい結果を迎える可能性もあるので、犯人捜し・責任追及・私刑の類いは控えさせていただきます。
 
ただ、原作者として「ここだけは分かっておいて欲しい」という気持ちを1つだけ共有させてください。
 
現在制作中のコマ撮り短編映画『ボトルジョージ』もそうですが、皆さんに知っていただいているところでいうと『えんとつ町のプペル』がそうなのですが、あの作品は、映画になり、ミュージカルになり、バレエになり、さらに現在は、英訳されて、ブロードウェイで鋭意制作中です。
メディアも、海もまたいで、いろんな形で届けられていて、僕は、その作品の「原作者」です。
 
もちろん、「メディアや海を渡る」ことを許可した以上、そのメディアや、その国に合わせて、原作がお色直しされることは承知の上です。
これは、ほぼ全ての原作者が理解しているところで、「一言一句変えてくれるなっ!」という人は、あまりいないと思います。
ただ、やっぱり作品の親としては「都会に送り出す不安」はあって、皆、我が子を預かってくれる人に対して「変な感じにしないでくださいね」と一言つけ加えているでしょう。
 
この時、難しいのが「変な感じ」の捉え方が、人それぞれだということ。
ある人にとっては「これぐらいはいいだろう」ということでも、原作者にとっては「それはダメ」ということは全然ある。
 
なので、原作者は作品を預けた後も、ずっと心配で心配で、“原作者にとって”変な感じにされてしまった時は世に出る前にイエローカードを出さなきゃいけなくて、気がつけば、クレーマーみたいになってしまう。
ただ、我が子を守りたいだけなのに。
 
僕は、それには耐えられなくて、なので、いつも「脚本」で参加して、時に「製作総指揮」、アメリカだと「プロデューサー」で参加しています。
現場に入って、現場の最終ジャッジをくだせるようにしてる。
そうしないと、作品が守れないので。
 
だけど、それでも、書き換えられてしまうことがあるんです。
「歌舞伎ではこうですよ」「バレエではこうですよ」「ブロードウェイではこうですよ」を理由に。
 
書き換えた相手に悪気が無いことは百も承知です。
皆、自分の名前を出して仕事しているので、皆、より良いものにしようとしてくれている。
 
でも、悪気がないからこそ厄介で、暴走するのはいつだって正義じゃないですか?
 
相手は正義で動いているので、原作者が「やめてください」と言っても、「なんで、なんで?」となっちゃうんですね。
 
でも、ここからが、原作者からのお願いなのですが、原作者が「やめてください」と言った時は、やめてもらえると嬉しいです。
 
 

良かれと思ってやってくださっていることが…

 
「誰かを守る為に言っている」というスタンスは卑怯だと思うので、僕の言葉で、僕自身の話をさせていただきます。 
 

(続きはこちらから【連載「革命のファンファーレ~現代の労働と報酬」】

「原作者」としても活躍している西野亮廣さんより、「僕の言葉で、僕自身の話をさせていただきます」

https://goetheweb.jp/person/article/20240202-nishino-131-2

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